【移住者インタビュー】余生は農家だ!農業体験で目覚めた半農半X生活

大泉町 大野耕一さん

きっかけは農業体験

大野さんは、昨年の9月まで約34年間、東京でサラリーマン生活を送っていたが、満を持して会社を辞めた。東京にいる親御さんの介護があるため、今は週末のみの八ヶ岳移住で東京と往復する生活だ。
移住のきっかけは8年ほど前、長野県飯田市で4泊5日の農家体験に参加したことだった。畑で採れたての野菜があまりにおいしくて、朝昼晩と一日3食それぞれ3杯ずつご飯をおかわりしてしまったほど。また、農家の仕事は自分の自由でできることもわかった。ちょうど筍の季節。81歳のおじいさんが地面から軽々と筍を抜いて肩にかついだ姿を見て感激し、「農家はすごい。これまでずっと都会で生活してきたから、余生は田舎でいい。百姓になろう!」と決意したのだった。

農地購入と家の建設

それからというもの、田舎生活を実現すべく土地や家を見て回った。なかでも、奥さんが子供の頃から旅行などで八ヶ岳になじみがあったことから、この地に強く惹かれた。そんな時、田舎暮らしの情報誌に掲載されていた、高根町の畑と土地の個人売買が目に入り、すぐに問い合わせた。実際に足を運んでみて、八ヶ岳、南アルプス、富士山を見渡せる360度の大パノラマに魅せられて、約1200坪の土地を即座に買ってしまった。畑に隣接して家を建てようと夢見たが、土地購入後、農地は宅地転用できないことがわかり、あえなく断念。別の場所に家を作ろうと、再度土地を探すことに。
農地の標高は700メートルほどで夏はちょっと暑い。住居はもっと標高の高いところがいいと、“950メートルで川の傍”をイメージしたら、その通りの場所が見つかった。わずか30分考えただけで、これまた即決。あっという間に八ヶ岳に引き寄せられたのだ。そして、気密性があって暖かく、防音に優れた国産の丸ログの家を建てることにした。完成したのが、赤い屋根とグリーンの壁がシックな、ログハウスだ。

無農薬、無肥料の自然栽培を実践

1200坪の農地は分けて考え、一部は地元の農家さんに貸し、一部は仲間と共同で農作業をするなど、有効に使っている。農地所有者は、農業委員会に計画書を提出しなければならなかったり、水路の掃除など、手間のかかることも色々あるが、近隣農家との付き合いも楽しいと大野さんはいう。
「自分の土地だと愛着も湧き、作業をしなくてはという気になってきます。畑仲間も徐々に増え、自分たちで作った野菜は格別においしく喜びが倍増しています」
東京と八ヶ岳を行き来しながらも、農家さんから、無農薬、無肥料の自然栽培や自然農を勉強して実践している。
「自然農といっても、いわばほったらかし農業なんですよ」とおっしゃるが、肥料など使わない昔の野菜は、今の20倍ものエネルギーがあった。スーパーではそういう物は売っていない。それなら自分で作ればいいという前向きなスタンスだ。

動物たちとも共存

大野さんは東京の府中出身で、子供の頃は土にまみれて遊んだりした。八ヶ岳に来てから、トンボや蝶を久しぶりに見て子供の頃を思い出した。多種多様な鳥や虫をはじめ、鹿や猿、アナグマなど、動物が周囲にいるのも当たり前の環境だ。せっかく畑にできたカボチャを猿に食べられて全滅したこともあったが、動物との共存生活は愉快だという。
「家の隣の川で、罠にはまって身動きできなくなった鹿の角を切って、助けこともあります。庭に鹿がいると、ラッキーと思ってしまう。鹿が身近にいるなんて、それまで考えられなかったことなので、うれしくてしょうがないんです」
都会生活やサラリーマン生活は味わい尽くしたので、もう十分。そんな風に考える人たちと、同じ方向へ向かって進んでいる。人とのつながりを大切にし、仲間と支え合いながら八ヶ岳生活を満喫している。

サロンドハーモニー八ヶ岳
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