【移住者インタビュー】夢はスタッフ皆で行くフランス、パン研修旅行

小淵沢町 「桑の実」店長 尾山敦子さん

大草原の小さな家に憧れて

小淵沢の道の駅のパン屋「桑の実」の店長の尾山さんは、なんと25年前に神奈川から八ヶ岳に移住してきたという移住の先駆者だ。
尾山さんはご主人ともども陶芸家のご夫婦。東京で同じ陶芸工房に勤めていた二人は、独立して自分たちの工房を作ろうと、小淵沢を選んだ。
「東京からあまり離れていなくて、土地が安く窯のおける場所…と条件を絞って、伊豆や秩父、只見など、工房の候補地をいくつか見て回ったんですが、なんとなくここに惹かれてしまったんです」
特急が止まり高速のインターが近いことも魅力だった。とはいっても、隣の家とは500メートルも離れ、水も電気も通っていない雑木林の一画で、まず木の伐採から始まった。
「主人が先に来て、のこぎりとトンカチで小屋を建てて電気をひいてもらい、テントに寝泊まりしながら家を建てたんです。私は実家に身を寄せて、しばらく通い妻をしていました。楽しかったけれど、若かったからできたのでしょう。今考えると、親は心配だったと思いますよ」と懐かしそうに語る。
その当時テレビで流行っていた「大草原の小さな家」や「北の国から」を見て、広大な大地での丸太小屋生活を夢見たそう。ロマンチックなご夫婦なのだろう。

パン屋さんの立ち上げ

独立を決めてから2年たち、ようやく手造りの家と工房が完成した。夫婦で陶芸家として仕事をスタートさせたが、子供さんが生まれたことで、尾山さんは陶芸どころではなくなってしまった。
「ロクロを回している最中に子供がいたずらしたり、焼き物に集中する時間が持てなくなってしまって、2人目が生まれた時に陶芸はあきらめました。子育ては田舎でと決めていたので悔いはなく、お料理やお菓子を作ってお母さんしてました」
当時の小淵沢近辺は、アウトレットや道の駅もなく、今とは全然違っていた。ただ地元の生産者たちが野菜を売る朝市があった。そこにパンもあればいいのではと感じた尾山さんは、赤ん坊を背負って自分が家で焼いたパンを売りに行った。この大胆な行動が受け入れられたのだ。
 その頃、八ヶ岳南麓では減反政策がとられ、お米よりもソバや大豆、小麦を作ろうという方針を進めていた。この地元生産の小麦粉と天然酵母を使ったパン屋さんを、朝市の横で開店することになったのだ。地域開発の第三セクターの協力を得て、尾山さんを中心に4人のスタッフで、1999年の春からスタートした。
「初めはバターやチーズ、ハムなど動物性の食材も使っていたんですが、この近辺はパン屋さんが多いので何か特色がないとやっていかれない。それで地産地消のこだわりのパン作りをめざし、今のスタイルになったんです」
先見の明があったというか、昨今の自然派ブームと合致して、人気店となったのだ。

休む間もないほど

道の駅が開業したのは2004年4月のこと。夏だけではなく、冬も人出が絶えない人気のスポットとなり、尾山さんもお休みは週一日という大忙しの毎日だ。営業時間が朝7時から夜6時まで(冬季は8時から5時)と長いので、早朝4時半から仕事にとりかかる。夏の繁忙期は前日、つまり夜中0時前にお店に入ることもあるというから驚かされる。11人のスタッフのリーダーなので、パンを焼くだけでなく、スタッフへの気配りから経理まで一人でこなしている。
目が回るほど多忙のなか、新商品のアイデアが浮かんで商品化した時のうれしさはひとしおだ。たとえば去年から始めた野沢菜パンは、余っていた野沢菜を見て商品化を思いつき、生産者と連携しながら作っている。
「焼き物は作ると溜まる一方ですが、パンは食べるとなくなる。一日で完結するので、私の性に合っているのかもしれませんね」 
 とあっけらかんと語る。時間に追われながらも頑張れるのは、この八ヶ岳の澄んだ空気や水、素晴らしい景色のおかげという。
「ここにいるだけで、そういったものが体のなかにすっと入ってくるんです。以前は都会が恋しくて夢を見るほどでしたが、今では実家に帰ると窮屈で、すぐに帰ってきてしまいます」
 都会人だった尾山さんも、今ではすっかり八ヶ岳人に。できればもう一軒パン屋さんをやりたいなど、夢は尽きない。休みがなかなかとれないが、5月の連休明け、パンの本場フランスに初めて一人で行って、パン工場を見学してきた。「できればスタッフみなで、フランスにパン研修に行くのが夢なんです」
そう明るく語る笑顔がまぶしい。


桑の実
山梨県北杜市小淵沢町2968-1 道の駅こぶちさわ
小淵沢ICより車で2分。
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